◉祇園祭・11
謡曲「志賀」のなかで、六歌仙の一人、歌人・大伴黒主が、桜の花を仰ぎながら眺めている姿を表す。
※大伴黒主は歌人ということはハッキリしていますが、
百人一首には選定されておらず、研究者には正体不明の謎の人物だそうです。
あふみのや 鏡の山をたてぬれば かねてぞ見ゆる 君が千歳は
(新古今和歌集 神遊 大伴くろぬし)
しかし、平安時代には、近江に実在したと信じられ、
大津市には「黒主神社」があり、鎌倉時代前後には神になったそうです。
不思議な人ですね。
ご神体は寛政元年(1789)の作品。
人形着用の古衣装は、江戸時代初期在銘の貴重なものである。
杖をつき、白髪の髷の翁の人形は、いかにも品格がある。
山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になる。
前懸は中国の雲龍文綴錦。
胴懸は草花胡蝶文様の綴錦。見送りは牡丹鳳凰文様。
●宵山(2013/07/16)
●巡行(2014/07/24)
*平成26年から後祭の巡行になりました。
中国で龍門の滝を上る鯉は龍になるという故事の姿を表している。
木製の鯉が勢い良く水しぶきを上げる様は勇壮。
前懸や見送りは16世紀のベルギー製のタペストリーで、重要文化財に指定されている。
●宵山(2013/07/16)
ここで昼食にしました。
●巡行(2014/07/24)
*平成26年から後祭の巡行になりました。
・辻回し中
山鉾は神聖な物だからでしょうか、
◉タペストリーのこと
鯉山を飾るタペストリーは、ホメロスによる古代ギリシャの長編叙事詩『イーリアス』から、トロイの王プリアモスとその妃のヘカベが、ギリシャの神であるアポロンの像を崇拝する姿を描いたもので、
ブラバン・ブリュッセルの略号「B.B」という文字が発見され、
現在のベルギー・ブリュッセルで製作されたことが明らかになっています。
さらに「TSEA」というマークから、1580年〜1620年頃に当時の名工といわれたニカシウス・アエルツによって作られた、5枚連作の1枚であることもわかっています。
日本にきた経緯は定かではないが、当時は単品で扱うものではないことから、
その後、5枚のうち1枚は増上寺に飾られ、明治42年(1909)に焼失するまで徳川家に残り、
残り3枚は、18世紀になって徳川家に多額の献金をした三井、伊藤などの豪商に謝礼品として渡った。
そのうちの1枚が鯉山町に、他の1枚も裁断されそれぞれ買いとられた。
残りの1枚は、大津(滋賀県)に売られた。
鯉山町では、タペストリーを大工のノミで大小9枚に裁断し、
それぞれ見送と2枚の胴懸、2枚の水引とし、また残る4つの部分をひとつにした前懸にそれぞれ仕立て直している。
裏面を名物裂で覆い、鯉山を飾ることとなった。
「京都文化博物館」HPより
前懸
水引
胴懸
見送
以上、鯉山町衆が調査した結果を調べました。
これまでも「白楽天山」や「霰天神山」「鶏鉾」など、
ベルギーのタペストリーを飾った山鉾を紹介しましたが、
この山ほど見事に1枚を使い切ったものはないと思います。
外国製の段通や絨毯がどうやって祇園祭にやってきたか等が覗えるお話です。
祇園祭の他の山鉾に飾られ現存しているものを含めて、国指定重要文化財となっています。
文化14年(1817)鯉山以外の切断された1枚の片割れが、
伊藤家により滋賀県の長浜に200両で売られ、曳山を飾っている。
その他は、文化4年(1807)三井家により銀8貫600目で大津に売却された。
どちらも今の貨幣価値で換算すると1千万円以上になる・・・
両方とも現存しているそうで、観に行ってみたくなります。
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